こんにちは。生活陶器「on the table」です。
「作業場から」
器づくりのあれこれ(愚痴も含めて。。。)を仕事場の様子などもまじえてお伝えしてければいいなーと思っています。
3月13日(金)は、ヨシザワヤスヒサが綴っています。(メルマガでお届けしている「作業場から」 を、配信後にこちらに掲載しています)
「職人」って聞くとどんな人を思い浮かべますか?
ネットで調べてみると、
「職人とは、自らが習得した熟練の技術や知識を使い、手作業で物を作り出すことを職業とする人を指し、
大工や左官、陶芸家、料理人など多岐にわたり、その仕事には「職人気質」とも呼ばれる、妥協せず、
より良いものを作り出す強いこだわりと継続的な努力を続ける人」なんだそうです。
私の父親は「ろくろ職人」でした。
50年もの間、ろくろをつかった素地づくりを専業として毎日ろくろをまわし、多い日には500個以上の器の素地をつくって、近くの大きな窯元に納めていました。
(*素地(きじ)というのは焼かれる前の、まだ粘土の状態の器のことです)
昨年夏に脳梗塞で倒れてから、仕事の話などもできなくなってしまったからか、ふと「親父の仕事」について思い出すことが増えたなぁと感じたのです。
もともとあまり仕事の話をしなかった父親ですが、元気だったころに口にしていたことです。
「おれよりもロクロが上手な人はいくらでもいるけど、急須(ポット)づくりだけは自信がある」
「おれのロクロはまったくの自己流」
「菊練りはだれよりも下手くそ」*菊練り・・・ろくろで成形しやすいように粘土を練る方法
「指のケガは命取り」(ロクロがまわせなくなってしまうので収入が0になる)
奥行6メートル、幅3.5メートル6坪ちょっとの狭い細工場(さいくば)にはロクロが1台と、土を練る機械が1台、山積みの粘土、いろんな作業道具、器の素地、
それから古いラジオに、なぜかテレビもあって(いつもラジオかテレビを「聴いて」ました)
大きな壁掛けカレンダーには大好きな競輪の結果(払戻金の額)が書き記されていて、とにかくたくさんのものが並んでいる親父の城でした。
<写真は父親の細工場だった場所。現在は石膏型づくりをする作業場に>
ただ、「職人とは・・・妥協せずに、より良いものを作り出す強いこだわり」みたいな力感は父親にはあまりなかったように思います。
職人稼業をつづけたのは、シンプルにちゃんと稼ぐこと(経済的な自立)と誰からもあれこれ言われないこと(精神的な自立)を一番大事にしていたからで、
どこか力が抜けているというのか、自然体というのか、楽しそうというわけではなかったけれど嫌々という感じでもない。
余計なものは背負わずに、ちょうどいい距離感で仕事に向き合っていたのかもしれません。
私が思い描く「職人」は、そんな力みなく自然体で、淡々と手仕事をこなしていく人です。
どれだけ高い技術を身に付けられたかよりも、どれだけたくさんの数をこなせたかのほうが大事だなと言える人。
いやいや、だんだんと父親がかっこよく見えてきた(笑)
次の面会の折にでも、そんな話をしてみようと思います。ニコニコしているだけだと思いますが。
<写真はたたらづくりをしている様子です>
「自然体で、淡々と手仕事をこなしていく」職人候補だったらよしざわ窯にはたくさんいます。
土を練るのも、形をつくるのも、装飾の作業も、釉掛けだって、商品の出来不出来を見ることだって、
基本的に手作業で終わりのない単純作業でもあるから、毎日力を入れ過ぎずに淡々と、そして正確に仕事をしていく。
<写真はひとつひとつ商品を手に取り、上から、横から、裏側も、と検品作業をしている様子です>
そういう静かな作業の連続によって、数えられないくらいの商品がつくられてきたし、これからもそうやってたくさんの器をつくっていけたらいいなと思います。
「続けられる」状態をつくり続けること。そうそう、自分で自分の機嫌をとれることが一番大事な職人の技術かもしれないなぁ。
<写真:新しい器がつくりつづけられています>
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また。
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