割れる話と割り切れない話

ずっと前からそうだし、少し前も今もそしてこれからも変わらないことがあります。それは焼き物はよく割れるということ。毎日毎日いったいどれほどの割れた器を見ているんだろうと思ってみたのです。ちなみに(恥ずかしい話ですが)数年前に150ほどの製作中の生地を一度に割ってしまったこともあります。この時は生まれてはじめて心が割れる音を聞きました。。。それでも毎日みんなで涼しい心で機嫌よく器づくりを続けていられるのは、もちろん生活を支える仕事だからという代えのない動機もありますが、思った通りにつくれたときにじわっと体の内側にわいてくる高揚感みたいなものをメンバーそれぞれがそれぞれの場所や場面で感じているからだと思うのです。そういう製作者の心意気は「割れ」なんかよりもずっとしなやかで強いものです。今回はそんなことを半ば自分に言い聞かせるようにつぶやいてみました。
さて、ここからは横道にそれた話なのですが、こうやってつくられている器(商品)には製作と販売にかかった費用いわゆるコストと、次の器づくりのための蓄えいわゆる利益をのせて「値段」がつけられます。「市場主義経済の下では価格は市場によって決定される」なんて学生時代に習った記憶がありますが、実際はね、そんな社会科学的に割り切れた冷たい話ではないんです。値段を決めるっていうのは「××円でどうかな?」「高いよ」「安いよ」「いくらだったらほしいと思う?」「家族4人分だと××円になっちゃうから高いと思う」「でも製作コストを考えるとこれぐらいの値段が妥当だと思う!」みたいにあっち行ったりこっちに来たり、同じ場所を何度もグルグルした挙句、不安いっぱいのくせに自信ありげに皆さんに提示してるのです。いつだって不安だし難しいし苦しい。けれど器の正しい価値を決める責任はきちんと果たさなければならないと思っています。しかもどこか人肌に温めるように。
ポチっと誰かに決めたもらえたら楽だけどね。

割れててもカワイイものです。

担当:ヨシザワヤスヒサ

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